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臼井二美男 義足アスリートの佐藤真海をパラリンピックまで導いた男とは!? [スポーツ]

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2020年オリンピック東京招致の際、心に響くスピーチで注目を集めた女性がいます。

佐藤真海(さとうまみ)さんという義足のアスリートです。

彼女はパラリンピック出場を何度も果たし、
その度に走り幅跳びの部門で世界上位の記録を出し続けてきました。

今回は、そんな彼女をパラリンピックまでサポートしてきた臼井二美男さんについて探ってみます。



佐藤真海さんは1982年3月12日、宮城県の気仙沼市で生まれました。

その後、気仙沼中学校を仙台育英学園高等学校を経て、早稲田大学商学部へ進学します。

そして2002年の彼女が20歳の時に、骨肉腫という病で右足を膝下から切断しました。

おそらく当時の彼女はとてもショックが大きかったでしょう。

20歳という年頃の女性です。

それにこれまで、水泳や陸上競技、チアリーダーなど、体を使う運動をたくさん経験してきていました。

それまで足を失うとは想像もしてこなかっただろうと思います。



そして足を失った彼女は義足で生活することになりました。

そのとき出会ったのが義肢装具士臼井二美男さんです。


佐藤真海さんについて書いた記事はこちら



http://japanese-trend.blog.so-net.ne.jp/2013-09-10


【義肢装具士 臼井二美男】

義肢装具士とは、事故や病気などのために低下してしまった機能を補うため、
コルセットやインソール、また義手や義足などを製作する職業です。

病院では主に整形外科で仕事をしますが、
多くの場合は各製作会社から色々な病院を回って仕事をします。

医療の分野で義肢装具士は、かなり特殊な国家資格です。


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さて、臼井二美男さんが義肢装具士になろうとしたのは28歳の時でした。

それ以前には、地元群馬から上京して通った大学を中退し、
何年もフリーターをしていたそうです。

彼が義肢装具士を志したきっかけは、小学校の先生が義足を使っていたこと、
そしてたまたま義肢装具士のスキルを習得できる養成校の張り紙を見つけたことでした。

その後臼井二美男さんは、
現在東京の南千住にある鉄道弘済会義肢装具サポートセンターで働いてきました。




そして1989年、彼はスポーツ用の義足の開発を始めました。

1991年には、切断障害者たちが集う陸上競技チーム「ヘルス・エンジェルス」を創設します。

現在パラリンピックなど、切断者が義足をはいて走る姿を多く目にする機会があると思います。

しかし、臼井二美男さんがヘルス・エンジェルスを作ったころには、
義足をはいた人が走るなんて信じられないことだったそうですよ。

義足で走ったり、跳んだりするのが一般的に認知されだしたのは、本当に最近のことなのです。

そして、義足の方たちが走ったり、跳んだりするようになれたことは、
臼井二美男さんのこれまでの活動の賜物といえるでしょう。


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臼井二美男さんは障碍者スポーツ振興の先駆者として有名な方です。

パラリンピックでは、日本代表の担当メカニックとして同行し、
選手たちのサポートをしています。

また一方で、リアルな義肢装具パーツの開発なども行っているようです。

アスリートだけでなく、本当に様々な方のニーズに応えようと努力されているのですね。

そんは臼井二美男さんを、私は心から尊敬しています。



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